アフリカと日本
日本の歴史とアフリカ

アフリカと日本の地理的距離は遠く、ヨーロッパや中近東・南アジアのように歴史的なつながりが深いわけではありません。 にもかかわらず、アフリカと日本の関係は大切なものです。
アフリカ人の存在が一般の日本人に比較的広く知れ渡ったのは、16世紀南蛮貿易・キリスト教布教時代になります。 当時、南蛮船に主に奴隷として雇われていたアフリカの黒人達の存在は日本人の好奇心をくすぐり、様々な記述・南蛮屏風等にもその存在が残されております。 当時日本のキリスト教布教が進んだのも、ひとつにはアフリカ黒人のような「珍しい存在」が日本人の注目を集めたという点も否定は出来ないでしょう。
その後、日本は鎖国時代に入り、対外的関係は極めてゼロに近くなりましたが、明治維新後の富国強兵政策下、日本の産業革命・工業化推進のための原材料輸入先、そして製品輸出市場としてのアフリカの存在意義は大きくなっていきました。 更に、第二次大戦後、アフリカ諸国も独立し、アフリカ-日本関係はそのままアフリカ-日本経済関係といえるほど両者の経済的な繋がりは深まっていきました。 日本全体の貿易量からすると、アフリカの占める割合は低いにもかかわらず、日本の工業化に欠かせない希少金属等についてのアフリカへの依存度は大変高く、漁業資源も多く輸入され、日本人の寿司文化に貢献しています。また、日本の電化・工業製品はアフリカで目に付くようになってきています。 アフリカの道路を走っていると日本車がよく目につきます。
日本の戦後復興・高度経済成長により、今日では日本は世界の経済大国となり、国連への分担金もアメリカについで第2位となりました。 しかしながら、日本の戦後の援助は、アジア諸国への賠償金という役割から始まったこともあり、アフリカへの援助は、その地理的遠さ、歴史的なつながりの浅さもあり、低迷しておりました。 けれども、アフリカ諸国が独立して40~50カ国にもなり、国連の場でのその票としての重みも増し、特に日本にとって安全保障国理事国への運動に、アフリカの支援は欠かせないものです。 また、冷戦が終り、アフリカへの先進国の関心が薄れつつあり、アジアではNICsを始めとする諸国が経済発展を成し遂げ、アフリカが世界の経済発展からの取り残された状況が浮き彫りになっていきました。

アフリカ開発会議の始動
そんな中でアフリカへの支援の必要性を再認識させるためにも、日本は1993年にグローバル連合(GCA),世界銀行と共催で1993年に第1回アフリカ開発会議 TICAD Tokyo International Conference on African Development を開催し、以後5年おきに1998年、2003年と第2回・3回の会議を開催してきました。2008年には第4回会議が開催予定です。 TICADは単なる国際会議ではなく、アジアとアフリカがアフリカの開発を促進を目指して協力するための国際的枠組みなのです。
この同じ2008年は日本がG8サミット主催国でもあります。 サミットでも、近年開発が遅れているアフリカ問題は重要な議題となっており、2005年のグレンイーグルサミットでは、日本政府は2004年実績ベースとしての今後5年間でODAの100億ドル積み増し、また対アフリカ援助については、今後 3年間で倍増する旨表明しました。 まさに、2008年は日本でアフリカの年となると期待されているのです。
同時に、これまでの経済関係一本やりであったアフリカ-日本関係にも幅が出てきて、より社会・文化的連携関係も深まってきました。 アフリカを含め途上国の衣類・雑貨を販売しているエスニックショップは都市で数多く見られるようになり、フェアトレードの運動も日本人の中で浸透しつつあります。 又、アフリカのミュージシャンの日本での公演やアフリカ映画等の公開も増えています。今後、アフリカと日本の関係は益々深まっていくと思われます。
